まえがき

 現在の通信総合研究所が電波研究所として発足して15年経った昭和42年から、所属する部は転々としながらも、22年間にわたって連綿と続いてきた「音声研究室」が、去る5月29日に「関西支所知覚機構研究室」として発展的に解消されました。この冊子は、その音声研究室ゆかりの者が「音声研究室」に贈る鎮魂歌ともいうべきものであります。

 音声研究室がたどった道はいわばイバラの道でありました。歴史の項で述べられていますように、研究所内に音声を研究するグループがアクティヴに活躍していたにもかかわらず、研究室としては認知されなかった期間があります。独立した研究室として発足してからも、他研究室との共同プロジェクトを組みにくいことなどで、「電波」研究所の中ではかなり異質な研究集団であり、所としての大プロジェクトから離れたところで、計算機環境の不備や研究費の少なさに涙を呑んだこともあります。しかし、所内では研究面では特異でありながらも優秀な研究集団であった音声研究室のメンバーは、こうした逆境をものともせず、次々と論文発表を重ね、学位取得者が続きました。
 その後、技術開発の進展が加速され、世の流れとして、音声の研究にも、従来型の信号処理的な技術に加えて、それから幾分外れた分野の技術も要求されるようになりました。そして音声研究室にも新風を吹き込む必要が感じられるようになって、昭和62年から平成元年にかけて室員の総入れ替えが行われました。この間、昭和63年4月8日、研究所の名称が「電波」研究所から「通信」総合研究所へと改められ、所としても主たる研究対象を従来の「電波」から「情報通信」へ変えたのであります。そして、その総仕上げが「関西支所」であり、音声研究室はその中の「知覚機構研究室」として、音声・聴覚に加えて画像をも研究対象とする大所帯の研究室に生まれ変わります。

 初代の音声研究室長であり、数々の輝かしい業績を挙げられた鈴木誠史前所長が、折しも音声研究室消滅の約1ケ月後の去る6月30日付けをもって、当研究所の職を辞されたのは、何かの因縁とでも申せましょう。

 音声研究室のたどった道を後世に伝えるために記録に残しておくことは、音声研究室の最後の在籍者であった我々の責務であると考え、ここに、音声研OBの方々からの心温まるご寄稿を中心に、資料的な部分を補ってまとめてみました。
平成元年 8月1日
前 音声研究室 室員一同

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